やさしい日々を、やさしい世界を、
かなしいニュースが飛び込んできた。
「セクシー田中さん」の原作者の方が亡くなったらしい。
初めに伝えておくと私は原作を読んでいないし、ドラマも見ていないから、作者の方がどんな価値観をお持ちで、どんな作品を描かれる方なのか全く知らない。
でも、とってもかなしい。
おそらく理由はふたつ。
ひとつ目は、原作者さんの文章に好印象を抱いていたこと。
ふたつ目は、0から1を生んだ人が守られなかったこと。
そういうドラマが放送されていることは知っていた。SNSでは宣伝の動画がたまに流れてきたし、文化そのものが話題になっていることも、なんとなく、耳に入っていた。でも、それだけ。
いつからか明確には覚えていないけど、私はテレビドラマというものから距離をとった。単純に家にいる時間が少なくなったことも要因の一つだが、脚本の中に感じるちょっとした違和感とか、隠しきれない主義主張とかを感じるようになって、純粋に尊敬できたり、来週が待ち遠しい!という作品に出会いにくくなったことが大きい。「あのドラマみた?」という話題が通じなくなってからはや何年だろう。
そんな私の耳にも入ってくる、ということは何かしらのエネルギーがある作品なんだろうなと、ふんわり、認識していた。私は自分で見たもの感じたものしか信じないと決めているから、ここで作品について言及するつもりはない。
しっかりと作者の方を知ったのは一連の騒動が起きてからだった。たまたまSNSのおすすめに流れてきたご本人の文章をぜんぶ、読んだ。それはとても丁寧で、端的に、ファンの人への想いを込め、起きてしまったひとつの事実を、真摯に説明されていた。懸念される心配を予め網羅し、関係者のことを決してさげることなく、あくまでも自分の立場で感じたことだけを伝えていた。直感的な感情や攻撃的な言葉が飛び交うSNSのなかで、思いやりに溢れ、きちんと推敲された文章は、私の目にとても清らかにうつった。
それぞれの正義、自己顕示が溢れる情報化社会の中で、だれも傷つけないように言葉を選び、譲れない信念や守りたい想いだけを伝える。これが出来る人はとても少ないように思う。
だから、心に残った。
こういう発信をできる人が、これからも増えていけば、やさしい世界を目指せると思った。
投稿が拡散されていることも、
さまざまな意見が飛び交っていることも、
ご本人が投稿を消されたことも、
本意でない方向に進んでしまったことも、
ぜんぶ、見ていた。
「攻撃したかったわけじゃなくて」
そうだと思う。あの投稿は、ただ、守りたい、という気持ちだけを感じる文章だった。
そういう事実があったこと、その中で最善を尽くす形でドラマが完走したこと、それを受け止めるだけで充分ではないか。受け手が声を荒げる話ではなく、今回は色々難しいことが多かったね、じゃあ次はどうする?と、世の中が考えるきっかけになるだけで良い。
なぜ、一方が「正」ならもう一方は「悪」であると決めつけるのか。
なぜ、「正」のためならもう一方を「叩いても良い」と思うのか。
なぜ、当事者たちの気持ちを汲み取り、慮ることができないのか。
色々な感情がぐるぐると溢れ、ぽっかりと胸に穴が空いたような気分になった。
少し話は変わるが、私は昔からクリエイティブな人への憧れがある。
自分の頭の中にあるものを、かたちへ落としこみ、発信し、共感を得る。0から1を生むこと、決して簡単なことではないと知っているからこそ、様々な分野の第一線で活躍されているクリエイターの方々のことを、心の底から尊敬している。
そして最近、私自身もその領域に足を踏み入れたい、という気持ちが高まっていて、1日1クリエイティブ、と決めて、仕事終わりや休日に創作活動に打ち込む毎日を過ごしていたところだった。
ここで何をしているかを言及する必要はないと思うので書かないが、自分の頭の中にあるものをアウトプットすることの難しさと日々向き合っていると必然的に、それを生業にしている人のことを考える。
「フリーランス」「自営業」
サラリーマンをしていると、自分の采配で仕事をする姿が融通のきく職業のように見えてしまう部分は少なからずある。でも、実際にやってみると制限がないからこそ、常に自分自身と対話し、表現の限界に挑み続け、命を削りながら作品を生み出している人が多いのではないかと感じることが多くなった。
血の滲むような努力をして、作品を生み続け、その中で有名になったり、評価を得る人はほんのひと握りの世界。
一生懸命もがいた先にある景色で、もしくは夢描いていたその先の世界で、ご本人や作品がリスペクトされない状態で消費されていくこと、その時いったいどんな感情を抱くのか、いまの私にはまだまだ想像もつかないが、決して気持ちの良いものではなかったはずだと思う。
もちろんビジネスである以上、歩み寄りが必要なこともある。今回のことも二次被害を生むリスクを懸念して、大きな組織は声明を出していないだけかもしれないし、個人が発した一部の情報しか見ていないから、偏った意見になっている可能性もある。
でも。作品だって、事業だって、最初に生み出すきっかけを作るのは人間なんだから、最初から同じ方向を向いていればこんなことにはならなかったのではないかと、どうしても考えてしまう。
考えてしまうこと自体は悪いことではないが、何がきっかけかなんて当事者でなければわからないんだから、今回の件で誰かを責めるのはお門違い。
絶望しての選択だったかもしれないし、
救いを求めた結果だったのかもしれない。
そのことを私たちは知る由もないのだから、出ない答えを探すのではなく、同じ事を繰り返さない方法を模索することのほうがよっぽど建設的なはずだ。
ひとりひとりが思いやりを持つこと。
相手を尊敬し、尊重すること。
自分と違う価値観を認め、違いを楽しむこと。
理解できないことも、決して否定はしないこと。
やさしい日々を、やさしい世界を、
いつかみられる日がきますように🕊️
悲しみに溢れてしまった人は、情報と距離を取ってもいいと思います。辛いときは休んでもいいし、ゆっくり眠るのもおすすめです。自分のペースで、起きてしまったことと向き合い、無理せず、自分の道を歩んでいこう。
いま、たのしい?
学生時代のバイト仲間と久しぶりに集まった。
私は幹事をやるタイプではないので過去のコミュニティに自分から声をかけることは殆どないが、定期的に遊びや飲み会を主催してくれる先輩がいるので、一年に一回くらいのペースで、そのとき集まれる人で、近況報告をするくらいの関係性。
昔は正直バイトだけの繋がりなのにプライベートで仲良くしなくても別にいいじゃんね、なんて思っていた時期もあったけど(学生時代から仕事に関しては本当にドライ)、それぞれ辞めたり卒業したり、あれから何年経っても、あの業務はどうだった、とか、あのとき誰がこんなことした、とか、思い出話ができる仲間がいるのは幸せなことだと、今になってその大切さに気付かされた。
今回は、おかあさんになった子がいて、赤ちゃんも一緒にはじめましての会。
その子はバイト時代から本当に視野が広くて、なんでも誰よりも早く気づいてぱっぱっと動く子で、私が人生で出会った人の中でいちばんの気遣い屋さん。私もわりかし視野は広い方だと自負していたけど、それでも全く太刀打ちできなくて、ついつい甘えさせてもらっちゃって、本当に大好きで尊敬しているひと。
そんな子だから、おかあさんとしてもテキパキ、赤ちゃんがちょっとぐずったら「あれかな?」「これかな?」ってすぐに的確に対処してて、赤ちゃんもすごく心地よさそうにのびのびしてて、すごく素敵な関係性だった。
私はいま恋人がいるわけでもないし、結婚願望があるわけでも、子どもが欲しいと思っているわけでもなくて。どちらかというと自分のやりたいこととか自分の人生のために知識や経験を得ることを優先しているから、焦りみたいなものも全くなくて。私の人生最高〜!って生きてるんだけど。
最近、自分の周りでライフステージが変わった子と会うと、「結婚の予定はー?」とか「子どもはいいよー」とか、もちろん本人に全く悪気はないんだけど、その子が進んだ、世間一般的に幸せとされているルートへの誘導みたいなものを感じることが何回かあって、難しい気持ちになることが多かった。
だから、今日もちょっとだけ怖かったんだけど、いろんな話をしていくなかで、家族として大変なこともたくさんある、とか、自分の人生とバランスが難しい、とか、その子はいま歩んでる道の良いところも悪いところも、全部、ありのまま話してくれた。そして、学生時代からずーっと好きなことだけして生きている私の話を聞いて「なにも変わってないところが、いいよね」って認めてくれた。
それが本当にうれしくて。
結婚して子どもが産まれた人。
結婚したけど子どもはいない人。
恋人はいるけど結婚はまだ先の人。
恋人を探している人。
恋人はいなくてもいい人。
今日集まった中にもいろんな価値観があったけど、絶対に比較せず、一人ひとりの考え方を尊重して肯定すること、この先も忘れずに生きていきたいな。
最後におかあさんになった子と2人で話す機会があって「いま、たのしい?」って聞かれたの。「たのしいよ!」って胸張って言えた自分に安堵した。
お互いの立場が違っても思いやりがあればだいじょうぶ。またすぐ会えるといいな。
昇進?なにそれ?おいしいの?
上司だった人が昇進した。それも過去に例を見ないスピードで。でも、その人は全然喜んでなかった。
同じグループのメンバーとして働いていた頃から、やると決めたことに対してまっすぐ走り抜ける人だったし、困難が立ちはだかっても絶対に諦めない人で、仕事への熱量や遂行力は紛れもなく本物だった。
それは上司になってからも変わらず、いつでも二人三脚、困ったことがあれば絶対に一緒に悩んでくれたし、何度も何度も、先回りして助けてもらった。
だから、昇進自体は正しい評価だと思うし、次の職務も全うできる能力を持った方だと思うから、下にいる立場の私からしたら、本当にうれしいことだった。職場ではドライに生きてる私でも、お祝いのチャットを入れちゃうくらい、あったかい気持ちでいっぱいだった。
でも、返ってきたチャットは複雑な心境を綴る内容だった。
その人が現場仕事が大好きなことも、昔から管理職を望んでいなかったことも、知っていたから、返事を考えるのはすごく難しかった。
幸い発表からあまり時間を空けずに直接話す機会に恵まれたので、話を聞いてみたら、やはり「希望ではない」とのこと。一度断り、抵抗してみたものの、最終的には会社としての指示だから、と受け入れざるを得ない状況になったようだった。
それを聞いて率直に、「こわい」と思った。
もちろんサラリーマンである以上、与えられた職務を全うする責任があることは理解している。そして会社がここ数年、大きく組織改革をしていて、年功序列の旧体制を刷新しようとしていることや、女性の管理職割合を増やすと対外的に発表していることも知っている。
でも。その変革の渦の中で、本人が望まないまま、納得がいかないまま、キャリアのことが決められ進められてしまう会社になってしまうのであれば、私はそんなところにはいたくない。
前述の通り、会社で私は通称ドライで通っており、出来るだけ波風立てず、静かに粛々と、やるべきことを進めていきたいタイプなので、派手なことをしたい、とか、大きな実績を残したい、とか、役職に就きたい、とかそういった欲望は一切ない。職場での地位よりも、定時に上がり趣味や友人との時間を大切に、ワークライフバランスを保つことを優先したい。
だから、これからの変革の中で同じような判断が繰り返されていくようであれば、私はいつか、この会社を辞めるという判断をせざるを得ない日が来るのかもしれない。第一希望で入った会社だし、辞めたいと思ったことは一度もないけれども、入社してから初めて、焦りを感じた。
もちろん同じようなことが起こるとしたらまだ少し先の話だとは思うが、もし、自分が納得がいかないことがあったときに、「それなら辞めます」と言える選択肢を残しておける自分でありたい。そしてそのために、学び続ける人生でありたい。
「サラリーマンなんだから」なんて言われても、そんなこと知ったこっちゃない、一度きりの人生、やりたいことだけやって生きていくんだ、Z世代、なめんじゃねーーー!!!!